原題:Marie-Antoinette (USA, 2006)
監督:ソフィア・コッポラ
「恋をした、朝まで遊んだ、全世界に見つめられながら。」…ふわっふわのガーリーロココ炸裂の『マリー・アントワネット』。
ロックとチェンバロ曲の先導で、スナップ写真のように場面がテンポよく進んでいく。正直、『ヴァージン・スーサイド』かと錯覚。
「もしかして」と思ったがやはりその通りで、ストーリーはなし。有名すぎる逸話と事実で綴られている。
池田理代子の「ベルサイユのばら」、遠藤周作の「王妃マリー・アントワネット」、シュテファン・ツヴァイク「マリー・アントワネット」、宝塚歌劇団の「ベルサイユのばら」、ヴェルサイユ宮殿詣でを一通りこなしたような日本で一般的な「アントワネット好き」であることを自称する私にとっては新しいネタは皆無。
興入れから始まり、チュイルリー宮殿に国王一家が護送されるまでが時間的な区切り。
国境でオーストリアから身に着けてきた物一切合財を捨てる・退屈そうな王太子との結婚・何もなかった初夜・儀式ずくめのヴェルサイユ宮殿・豪華だが退屈な毎日の謁見・ルイ15世の愛人デュ・バリー夫人との確執・仮面舞踏会とフェルゼン伯との出会い・子供が授からないことによる陰口と涙・衣類やギャンブルへの傾倒・国王の死と即位・公開出産・プチトリアノンでの寵愛している一部貴族との現実逃避的生活・田舎屋での遊び・フェルゼンとの恋愛・母の死・王子の死・民衆の襲撃・チュイルリー宮殿への護送。
国王の顔を立ててデュ・バリー夫人に「今日のヴェルサイユはすごい人ですこと」という一言を言うシーン、公開出産の直後に空気の入れ替えのために夫であるルイ16世自らが窓を開ける、民衆がヴェルサイユ宮殿に押し寄せた時にバルコニーに出て深くお辞儀をしたら民衆が黙った…など有名な細かい逸話まできちんと盛り込んである。
しかし、あの首飾り事件はなし。2001年の映画「マリー・アントワネットの首飾り」がそれを専門に扱っていることもあり、また登場人物や場面設定がややこしくなることもありあっさり割愛、なのか。賢い選択ではある。
なるほど、フランス政府全面協力による撮影だけあって、ヴェルサイユ宮殿での撮影というだけでも映像的には貴重。撮影班といえばいたるところ踏み荒らし、ところかまわず照明を固定し、結果として建築が痛むこともあって通常であればイヤがるのに、フランスきっての客寄せパンダのヴェルサイユをご提供とは。しかもアメリカ人に!
知られつくした人物ゆえに、その何を見せるかが最大の焦点であることはソフィア・コッポラ監督も重々承知のはず。アガサ・クリスティーの『オリエント急行殺人事件』の映画版では結末まで知られまくった作品ゆえに豪華キャストで勝負したらしいが、やはり周知のネタを映画化するにはひねりが欲しい。
宣伝文句には「孤独だった王妃の心の奇跡を描く」とあったが…一刀両断、アメリカ人はやっぱり情緒や心情の移りを描写するのがヘタ。
1つ1つの場面の積み重ね、しかもドラマチックではない場面の重なりゆえに観客の心を導く手法がヘタというのか性急というのか。フランス映画のように、最後にこちらがもだえ苦しみ心の痛みをどう救おうか絶望的な気持ちになることがない。
1つだけ観客である私が救ってあげるのであれば…2回のオペラ鑑賞シーン。前半、オペラを鑑賞したマリー・アントワネットが無邪気に「あら、だって素晴らしかったじゃないの!」と言って場違いな所で拍手をしても貴族や観客がその拍手につられて拍手をする。後半の拍手のシーンでは、誰も彼女についていこうとしない。これによって彼女の孤独と周囲の反応を表現しようという目論見なのだろうが。
幼くしてフランスに嫁いだ王女の、豪華な宮廷生活の中で享楽的なものを追い求めた彼女の孤独…これも周知の事実なので、この孤独が新しいコトなのであれば監督の認識不足、この孤独を表現しようとしたのであれば表現力不足。
しかし、チェンバロ音楽とロックを起用した音楽センスは抜群で、それと全編通してのみずみずしい映像とガーリーテイストは、なるほどこういうノリでマリー・アントワネットを見たかったな、と観客の潜在的な要求を思い出させてくれる。
ヴェルサイユ宮殿の豪華絢爛の背景に、とにかく埋め尽くすロココの服・靴・小物、菓子は圧巻。ロココとはいえ、現代テイストに変換したふわっふわのガーリーロココ。
バブル以降冷え切っていたのにシャンパンゴールドやビーズやフリルなどが吹き返したように出現している今なので、むしろこの映画をみて「こういうの欲しい」とまで思わせてくれる。おいおい、フリル満点のロココ調だぞ!と我に返るのだが。
となると、ストーリー性や表現力へのいさぎよい諦めを感じ、むしろ映像のみでも2時間楽しめる。
チュイルリー宮殿に護送されるシーンで思い出したのが、NYのフリック・コレクションで廊下にさりげなく置かれていた家具コモード。チュイルリー宮殿での国王一家の生活のために一緒に持ち込まれた物らしいが、反感を少しでも減らすために華美な装飾を地味なものに作り変えたもの。革命というのは、イメルダ夫人が宝石の中身だけを箱から掴み取って危機一髪ヘリコプターで脱走するものだと思っていたのに。家具の装飾を変更する時間があるような革命がフランス革命?
電話も車もなかった当時のスピードはこのようなものだったのであろう。
タイタニック、ロミオとジュリエット(これは物語だが)、マリー・アントワネット、忠臣蔵…説明がなくとも、名前を聞いただけで人々の中に物悲しい感情が湧き上がるものがいくつかある。時代を超えていることを考えると、人の心の物語は永遠なり。ダイアナ妃が時代を超えられるかどうかは不明だが、ヨーロッパきっての王室・華麗なるファッション・美貌・孤独・離婚・恋人との悲劇の事故死という時代に関係ない要素がそなわっていることを考えると、時代の制約を越えて語り継がれ、いずれ宝塚歌劇団ネタになることは間違いない。ほとぼりの冷めたころにでも。
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専門分野は建築史(住宅史)。
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